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アイルランドでのビジネス・観光・留学のためのマナーや常識、文化を紹介
<アイルランドについてのヒントや注意点>

アイルランドとは 2
  • 最初の神話的な侵略はその詳細が古代Leabar GabalaかBook of Invasionに記されており、アレキサンダー大王時代のスペインのMileadhの3人の息子のHeremon、Hiber、Irの到着に端を発します。
  • その後、紀元前14世紀にケルト人がヨーロッパ大陸からやってきました。西暦432年に聖パトリックとともにキリスト教がアイルランドに入った際にはケルト人がアイルランドを支配しており、ノースマン(バイキング)が侵入してきた際もケルト人がいました。
  • ケルト人はDublinやCork、Limerickといった都市を建設し、西暦1169年に始めてWexford(ウェックスフォード)に足を踏み入れたアングロ・ノルマン人たちにより受け継がれました。
  • この侵入がその後7世紀半に及ぶノルマン人、イングランド人(English)、ブリティッシュを巻き込む歴史の到来を告げるものとなりました。そしてこれは1921年のアイルランド自治領の建設で終わるはずでした。
  • 条約はサインされましたが12世紀に英国人支配になって以来、彼らアイルランド人が求めてきたものからは程遠かったために、続く1922−23年に渡り内戦が起きました。
  • 1845−49年までの大飢饉と1916年のイースター祭ではアイルランド人は非常に貧窮し、英国人に対する怒りと憎しみが頂点に達し、アイルランド共和国民にとって特に辛いエピソードとして記憶されています。


  • 今日でさえも、これらのイベントについて会話の中で触れるとアイルランド人を刺激することとなり、やじり倒されたり辛らつなコメントを受けることになりかねません。アイルランド人は決してこれらを忘れることはなく、アングロ・アイリッシュは北アイルランドでの生活に奮闘しています。
  • 誤解や勘違いされやすいですが、北アイルランドとアイルランド共和国は全く異なる国であり、別の政治をもっていることをしっかりと理解しておいてください。
  • これは1921年に主に北東部のプロテスタントの多く住む6州32郡が、カトリック教徒の支配を恐れ独立に強力に反対した際に袂を分かつ決定がなされた結果であり、この決定での問題は、他の26郡の多くの人々は国を分割することに反対であったということです。
  • 唯一の北側の州が生き残る方法としては南側の政府を手の届く距離にとどめることで、このジレンマは長年にわたる暴力や奮闘を経た今日でも続いています。果たして関係の修復は可能なのか疑問に感じている人も少なくありません。
  • アイルランドは4つの行政区分(province)に分けられ:コノート(Connaught)、アルスター(Ulster)、レンスター(Leinster)とマンスター(Munster)、これらが更に26の州(County)に分けられます。
  • アイルランド人は自分たちをアイルランド人であることを除いては、州によってそれぞれの出身や所属を強く感じています。そのため、アイルランド人に出身地を聞くと、産まれた州(county)が帰ってくるのが一般的です。
  • アイルランド人は自身の州との繋がりに関しての質問に対しては非常に詳細に解答する傾向があり、祖父母の代以上に遡って応えることも少なくありません。そのため、アイルランド人にとって州に関する話題は国内外を問わず頻繁に耳にすることがあります。


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